京都地方裁判所 昭和43年(わ)257号 判決 1975年2月25日
本籍
京都市下京区西木屋通松原上る二丁目天満町二六六番地
住居
同市東山区山科日ノ岡夷谷町一七番地
無職
中島六兵衛
明治三二年九月一六日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、当裁判所は検察官中靏聳出席のうえ審理を遂げ、次のとおり判決する。
主文
被告人を罰金八〇〇万円に処する。
右罰金を完納することができないときは金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、終戦後京都市東山区山科日ノ岡夷谷町一七番地の自宅において貸金業を経営し、爾来その業務一切を統轄掌理してきたものであるが、所得税をほ脱しようと企て、自己の昭和三九年度における総所得金額が別表記載のとおり金二三八二万八、四一四円であるから、その所得税額は金一、一八七万四、五四八円であるに抱わらず、貸付及びこれに対する不動産担保権の設定を受けるに際し、第三者名義を使用するなど不正の方法によりその所得を秘匿したうえ、法定の所得税確定申告書の提出期限である昭和四〇年三月一五日までに所轄の同区渋谷通本町東入二丁目下新シ町所在東山税務署々長に対し自己の右年度の所得税確定申告書を提出せず、もつて詐偽その他不正の行為により右所得税金一、一八七万四、五四八円をほ脱したものである。
(証拠の標目)
一、被告人の当公判廷における供述
一、被告人の検察官に対する供述調書二通(検甲第三二、三三号)及び大蔵事務官に対する質問てん末書五通(同第二六ないし三〇号)
一、被告人作成の供述書二通
一、証人生良一男に対する当裁判所の各尋問調書
一、大蔵事務官作成の調査書二通(検甲第一、二号)
一、塩見志津子及び中島徳子の大蔵事務官に対する各質問てん末書
一、杉山市太郎の検察官に対する供述調書及び大蔵事務官に対する質問てん末書二通(別表記載1に関する証拠)
一、長井敏夫及び上田清吉の大蔵事務官に対する各質問てん末書(同上)
一、大村藤吉の大蔵事務官に対する質問てん末書(別表記載2・3に関する証拠)
一、京都市上京区長作成の戸籍謄本(検甲第四一号)(同上)
一、登記官作成の登記簿謄本五通(検甲第三五号、同第三七ないし四〇号)(同上)
一、証人本城初治及び同東野林次の当公判廷における各供述(別表記載4に関する証拠)
一、証人奥山市三の第一六回公判調書中における供述記載(別表記載5に関する証拠)
一、野事嘉造・大西重雄・熊谷次雄・奥山市三及び古原崇(二通)の大蔵事務官に対する各質問てん末書(同上)
一、証人古原万里子の第一五回公判調書中の供述記載(別表記載5ないし7に関する証拠)
一、古原万里子の検察官に対する供述調書及び大蔵事務官に対する質問てん末書二通(同上)
一、中島芳男の大蔵事務官に対する質問てん末書(別表記載6に関する証拠)
一、証人小野瑳 子の第一四回公判調書中の供述記載(別表記載6・7に関する証拠)
一、小野瑳 子の検察官に対する供述調書及び大蔵事務官に対する質問てん末書(同上)
一、御前隆弘作成の確認書(別表記載8に関する証拠)
一、押収にかゝる日誌綴三綴(昭和四四年押第一七一号の一・三及び四)
(弁護人の主張に対する判断)
一、売上原価(別表記載3)について
弁護人は、売上原価のうち、被告人が大村ミツエから取得して吉田官及び小山慎一に売却した、京都市左京区浄土寺下馬場町一八番の一その他の土地・建物の売上原価について、検察官はこれを一五三万二九五〇円であると主張しているが、それは誤りであつて一九一万九五二四円である旨主張し、その理由を縷々陳述するけれども、これに符号するような被告人の当公判廷における供述部分は、押収にかゝる日誌綴二綴(昭和四四年押第一七一号の三、四)に対比し措信できない。かえつて前掲関係証拠、就中、右日誌綴二綴によれば、被告人は、昭和三五年九月二〇日大村藤吉に対し、同人の妻大村ミツエ所有名義の前記土地・建物を担保に、金六六万円を利率月四分二厘五毛・利息一か月分二万八〇五〇円天引きで貸し付けたところ、右債務者は、同年一〇月二一日一か月分の利息として二万八〇五〇円、同年一一月二四日一か月分の利息の一部として二万六四〇〇円をそれぞれ支払つたこと、被告人は、同年一二月二一日右利率を月三分五厘に引き下げ、翌三六年一月二七日債務者から該利率による一か月分の利息として二万三一〇〇円の支払を受けたが、同年二月八日同人との間で、前記貸金債権及び同人の妻ミツエに対する貸金債権に対する各元利金合計を一二〇万円と計算し、その代物弁済として前記不動産の提供を受けることに合意ができ、同年一一月八日自己の妻中島徳子名義に所有権移転登記を受けたこと、ところが、当時右建物には賃借人が居住していたゝめ、被告人は、その後右債務者の協力のもとに賃借人に対してその明渡を交渉し、長期間かゝつてその目的を達したのを機会に、債務者に対し涙金名義で二〇万円を支払つたほか、右不動産につき固定資産税等計一三万二九五〇円を支出したことが認められる。そうすると、以上の合計額は一五三万二九五〇円と計算せられ、これが前記不動産についての売上原価であることが明らかなところ、検察官主張の金額もまたこれと一致し誤謬はないから、この点についての弁護人の前記主張は採用できない。
二、営業費(別表記載4)について
(イ)、弁護人は、被告人の経営する貸金業の形態は、一般の同業者と異なつて自宅を事務所に使用している関係上、事業に要した一般経費と生活費とが複雑に混淆し、そのうちから前者を完全に摘示することは著しく困難であるから、これについてはいわゆる経費標準率を適用すべきである旨主張し、その理由を縷々陳述するので、以下にこれを検討する。
前掲関係証拠によれば、被告人は、これまで主として数名の金主から借り受けた金員をもつて貸金業を経営してきており、その目的とするところは自己の利潤追求にあつたが、他面金主の半数は知名の士であつて大口の借入先でもあつたから、同人らの利益のためとその氏名を表面に出さないなどの考慮もあって、故らに事業上の収支を明確ならしめるに必要な諸帳簿を整備せず、たゞ僅かに日誌にこれを記載してきたに過ぎないこと、右日誌には、日々の出来事が事業に関すると否とを問わず克明に記載されているが、その各内容が簡単であるため、記載自体からは果して事業に関するものか否か明瞭でないものが相当あり、因みに、検察官が本件起訴に際して事業経費と認めなかつた支出のなかには、事業に関するものではないかとの疑いのあるものもかなりあること、被告人は、従来事業上の取引先の信用を維持するため、その収入については特に記載漏れがないよう心掛け、その都度記載するなどして正確を期してきたが、支出についてはその都度記載されたものもあるけれども、なかにはメモ書きや記憶に基づいて後日纏めて記載するなどしているので、収入の記載に比し正確性が低く、誤記や付け落ちがないとはいえないこと等が認められる。そして、右に認定した事実から考えると、被告人が事業上当該年度に支出した一般経費は、検察官の認めた金額よりも相当上回つていることが窺知されるが、それを非事業経費と截然区別することは著しく困難であるから、かゝる状況にある以上、これについてはいわゆる経費標準率によつて算定するのを相当と考える。
そこで進んで、本件に適用すべき経費標準率を考えてみるに、弁護人は、昭和四五年一一月一五日付朝日新聞に掲載されていた同業者についての経費標準率一割四分七厘を適用すべきである旨主張するけれども、同新聞にそのような記事が登載されていたとしても、その記事自体がどの程度権威あるものか明らかでない。もつとも、右主張に符号するような趣旨の証人東野林次の当公判廷における供述があるけれども、これは最近の経費標準率に関するものであるところ、本件は一〇年前における一般経費についてのものであり、しかもその間物価が逐年異常に上昇してきたことは公知の事実であつて、これに伴い一般経費もまた著しく嵩んできたであろうことを窺い知るに足るので、一〇年前の経費標準率は近年のそれより若干下回つていたものと認めるのが相当であるから、右の供述をそのまま本件の経費標準率認定の資料とすることはできないが、そうだからといつて、物価の上昇は必然的に事業上の収支の増大を伴なつていることでもあるので、両者の間に著しい格差を認めることは妥当でないと考えられるところ、これらの事実に証人本城初治の当公判廷における供述を勘案すると、被告人経営の貸金業に対する一般経費標準率は、弁護人が当初主張した一割三分をもつて相当と認める。そして、この対象となるものは、貸金業による収入、すなわち、収入利息及び売上であることが明らかである(検察官は、そのほかに売上原価及び支払利息を含めるべきである旨主張するが、これらはいずれも特別経費として取り扱うべきものであるから、右主張は採用しない)から、その合計額金五〇八六万三九三二円に一割三分を乗じて得た金六六一万二三一一円を一般経費として認めるのが相当である。
(ロ) 次に弁護人は、被告人は当時、塩見志津子のほかに橘梅代及び片尾小春を住込みで貸金業の仕事に従事させていたので、右両名に対する給料及び現物給与(食事)の価額も特別経費として認めるべきものである旨主張し、その理由を縷々陳述するけれども、これに副うような趣旨の被告人の当公判廷における供述は塩見志津子の大蔵事務官に対する質問てん末書に対比し措信できない。かえつて前掲関係証拠によれば、右橘及び片尾の両名は、主として被告人の本宅及び別宅の家事手伝いに従事し、時々被告人の言付けにより貸金業を手伝つていたに過ぎないことが認められるので、当時同人らに支給していた給料等は事業上の特別経費とは云えないから、この認定と異なる弁護人の前記主張は採用しない。
三、収入家賃(別表記載6)について
弁護人は、収入家賃の目的となつている建物のうち、古原万里子所有名義の京都市左京区聖護院蓮華蔵町所在の建物竝びに右古原及び小野瑳 子共有名義の同市中京区壬生下溝町所在の建物は、いずれも同人らが被告人から贈与を受けたものであつて被告人の所有には属しないから、これらについての家賃は被告人の収入にはならない旨主張するけれども、これに符号するような趣旨の証人古原万里子の第一五回公判調書中の供述記載、被告人の当公判廷における供述、被告人の大蔵事務官に対する各質問てん末書及び検察官に対する各供述調書は、その余の前掲関係証拠に対比し措信できない。すなわち、右の措信しない部分を除いたその余の関係証拠によれば、被告人は、非常に几帳面な性格で、事業上娘である古原万里子から借り受けた金員についても、従来他人から借り受けたものと同様に一定の割合による利息を支払つてきたこと被告人は、これまで自己が取得した本件以外の不動産につき妻中島徳子その他の第三者名義に所有権移転登記を受けてきたこと、本件の各建物取得に要した資金は、すべて被告人において出えんし、その権利証及び古原らの印鑑を自ら保管してきたのみならず、家賃の取立・建物の管理・管理費用の負担等一切の事務を取り行なつてきており、しかも、これまで一回も古原らに対しその収益を引き渡しておらず、かつその報告もしていないこと、被告人は、本件の脱税事件について大阪国税局係官の査察を受けるに先だつ昭和四〇年一〇月一〇日、娘古原万里子及び同小野瑳子に対し自己の資産内容を詳細に説明して書き取らせたが、その際本件の各建物についてもこれを自己の資産の一部として挙示していることが認められる。そして、これらの事実をかれこれ考え合わせると、本件の各建物は、形式的には古原らの所有名義になつているけれども、実質的には被告人の所有に属するものと認めるのが相当であり、従つて、これに対する家賃は被告人の収入と云わざるを得ないから、これと異なる前提に立つ弁護人の前記主張は採用しない。
四、不動産諸経費(別表記載7)について
弁護人は、不動産諸経費のうち、その目的となつている前段摘示の古原万里子所有名義の建物及び右古原と小野瑳 子の共有名義の建物は、いずれもその名義人である古原らの所有であつて被告人の所有に属しないから、これらについて支出した地代・雑費・固定資産税・減価償却費の合計一八万四一九九円は、被告人には無関係のものである旨主張するけれども、右の各建物が被告人の所有物であつて、古原等の所有に属しないことは前段認定のとおりであるから、これと異なる前提に立つ弁護人の前記主張は採用できない。
(法令の適用)
被告人の判示所為は所得税法(昭和二二年三月三一日法律第二七号)六九条一・二項、所得税法(昭和四〇年三月三一日法律第三三号)附則三五条に該当するところ、本件は無申告ほ脱犯であり、しかも犯行の手段方法・態様・ほ脱額等にかんがみると、犯情まことに軽からざるものがあり、その動機も主として自己の利得にあつたことは明らかであるが、他面被告人の金主、殊に大口の借入先は知名の士である関係上、同人らの利益とその氏名を表面に出さないための考慮が払われたことも否定し得ないこと、被告人は前料がないうえに現在深く反省悔悟しており、年令も既に七五才の高齢に達し今後再びかゝる事犯を繰り返さないであろうことが認められること、さらに被告人の性格・経歴等諸般の事情をかれこれ斟酌すると、被告人に対し自由刑を料することは刑政の目的に副わないものと考えられるので所定刑中罰金刑を選択し、情状により判示の免れた所得税額の範囲内で被告人を罰金八〇〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは刑法一八条により金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することゝし、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文によりその全部を被告人に負担させることゝする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 鈴木盛一郎)
別表
<省略>